ここからは、別な日の写真になります。
この写真は、お城山の西側にある通称「兜岩」と呼ばれている岩です。私が子供の時の遊び場でこの岩の上でよく
遊んで居りました。この岩は岩頸と呼ばれて火成岩が浸食を受けてこの様な形になった物です。
またこの辺りは御殿が在ったところで、この岩の上に社が建てられて、天神山とも呼ばれていたそうです。
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一気に三の丸の月見櫓跡まで上ってきました。我が愛犬ジャッキーの丁度頭の上に見える山が、古代韓国式築城法で
築城された城山です。右手にお結びの様に見える山は「讃岐冨士」です。ジャッキーの犬種はシーズーです。
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今度は中世の山城の写真です。先程と同じようにジャッキーの頭の上に見える山で△の形をした山が長尾城です。
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今度も中世の山城「聖通寺山城」です。右手の大きな山は土器山で、名の通り土器を作っていた窯や、古墳が多く
見られる山です。 「聖通寺山城」はその山の左に見える山がそうです。
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先程から同じところで向きを変えながら写真を撮っています。
三の丸から二の丸の石垣を撮りました。人の上の石垣には櫓が建っていたところです。
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ジャッキーをテーブルの上に臥させて、ちょっと離れ 瀬戸大橋と宇多津ゴールドタワーを撮ってみました。
写真にすると判りにくいですが、右手の黒っぽく見えるタワーが宇多津ゴールドタワーです。
瀬戸大橋はそのタワーの左右に見えています。
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二の丸に上り、本丸と天守を仰ぎ見ています。ジャッキーはシーズーですが、狆の飼育歴が長いので、
狆フェースカットにしています。念のため・・・・。
この二の丸には日本で一番深い井戸があります。
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日本一深い井戸の説明板です。読み難いかも知れませんが、ご覧下さい。
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その井戸の全景です。この井戸には城から抜け出す抜け道が在ったと云うことですが・・・・。
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丸亀城は香川県でも有名な桜の名所です。1月7日ですが、桜の花が咲いていました。
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二の丸の北側に回り込んで天守を撮りました。
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上記の場所から少し移動して、もう一枚。石落としが見えます。
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二の丸から本丸に入る坂でこの写真を撮りました。
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天守西側の櫓跡から天守の写真を撮ってみました。石垣の端と写真中央の地面に礎石が並んでいますが、これは
渡り櫓と云って各隅櫓と天守などを繋げていた櫓の礎石です。復元すると姫路城のように天守と隅櫓がわたり櫓で
繋がっていて、本丸全体が一つの構造物になっていました。勿論二の丸も同様に櫓は渡り櫓で連結されていました。
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天守を写した地点で回れ右をすると、中世の城が二つ見えます。中央より左側の山が、天霧城です。
この城は中世の名城「千早城」にも負けないほどの、日本を代表する要害堅固な山城でした。
写真中央の柵の上に見える低い山が居館が在った「本台城」で、天霧城は籠城用の「詰め城」です。
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同じ場所から、宇多津ゴールドタワーと瀬戸大橋を展望しています。
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天守と本島
本島は塩飽水軍の本拠地で、明治維新の咸臨丸の水夫の殆どは、この本島の水軍の水夫でした。
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丸亀平野を望む
中央の山が大麻山(琴平山、金比羅山)で、金比羅さんの在る山です。
金比羅山は向かって左側の端に位置します。
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渡り櫓の礎石跡
先程の天守の写真では判り難いと思いますが、これなら判って頂けると思います。
この様に本丸、二の丸は櫓と渡り櫓が連結されて、堅固で壮麗な構造物でした。
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待ちくたびれているジャッキー
風も強い日だったので、次第に不機嫌になってしまいました。
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丸亀城に登城する凛々しい武士・・・・?シーズー犬の我が愛犬ジャッキーです。
中央に見えるのが大手一の門、左手に見えるのが大手二の門です。
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大手二の門の前で振り返る一人の武士の姿。
屋根の上に天守が見えています。
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大手二の門を潜り、枡形で一休みをしている武士・・・・・。
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同じ枡形で大手一の門方向を見ている武士の姿・・・・・。
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枡形の大手一、二の門に対して対角線上の方向の石垣です。
この石垣の工法が切り込みハギの石垣です。隙間を出来るだけ
出来ないように石を切って、面を合わせるように組み上げています。
インカの石組みほどは精巧では在りませんが、見事に造られています。
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大手一の門を通り過ぎて、舌を出している武士・・・・・・。
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同じ場所で天守を望む。左手に見える坂が「見返り坂」です。
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枡形と大手二の門を見下ろしている武士の姿。
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同じく枡形と左手が一の門、右手が二の門。
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御殿門に向かわずに引き返そうとしている武士。武士の右手の低い石垣は野面積み(のづらづみ)工法。
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