丸亀城 


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     丸亀城は生駒家、山崎家、京極家の三大名家に依って、その居城として築かれ整備されてきた城です。その石垣の総合計高さは日本一の高さを誇り、「扇の勾配」と呼ばれる優美な曲線を持った石垣でも有名です。
     愛犬ジャッキーの散歩に行ったついでに、石垣の写真を撮ってきましたので、ご覧下さい。 
     写真が表示されないことがありますが、このページを再読込することで表示されます。お手数をお掛けしますが宜しくお願い致します。


     この写真は平山城である丸亀城の、亀山の東南の山裾に築かれてる「野面積(のづらづみ)」工法で築かれた石垣です。
    山下曲輪から見ることが出来、丸亀城の石垣としては一番古い形式の石垣で、生駒氏時代の石垣です。自然石を細工を
    殆どせずに、積み上げていった工法ですが、雨水の水はけが良く、石垣が崩れにくいのが特徴です。丸亀城の石垣の
    構造は、その内部に「野面積」の石垣が在って、それを覆うようにして外側に「打ち込みハギ」と呼ばれる工法で、
    石垣が二重に築かれています。
    と、これまでは考えられてきました。しかし2009年4月に、この石垣上部に切り株が見えますが、これは倒木が有ったからです。
    2011年12月からこの石垣の修復を兼ねて丸亀市教育委員会の発掘調査が行われました。
    結果、石垣の角部分に在った石の一つに矢穴と呼ばれる石を割る際のくさびを打ち込む穴の片方が発見されました。
    この工法は江戸時代初期の寛永年間(1624〜44年)以降の技術で、生駒家時代では無く山崎家時代に石垣を
    積み直したことが判明しました。この直ぐ下の写真が山崎家時代に築かれた石垣で、なぜ旧式の「野面積」工法で
    積み直したのかが判りません。しかし、そのお蔭で三種類の石垣を同じ城の中で見ることが出来ます。 


     この写真は、生駒時代、山崎時代の大手門だった搦め手門から登っていくと見える石垣です。山崎時代に築かれた石垣で、
    直線的な石垣が多く見られます。この工法は「打ち込みハギ」と呼ばれる工法で、自然石をノミなどで加工したり、石を割った
    矢穴の跡も確認出来ます。この写真の近くに栃の木御門の跡が在るのですが、その石垣は
    「切り込みハギ」の工法で築かれています。写真を撮ってくるのを忘れましたので、またの機会このホームページに掲載したいと思います。


     先程見えた三の丸の下に在る帯曲輪の石垣から、三の丸に向けて登っていきます。右手に見える
    石垣群が三の丸の石垣になります。工法は打ち込みハギで作られた石垣です。 


     帯曲輪から振り返り、飯野山(讃岐富士)を望みました。右上のおむすびの形をした山が讃岐富士です。
    その左側に見えるのが、古代の韓国式築城法によって築かれた城山の山城です。 


     三の丸から本丸、天守閣を見上げています。天守の左側は二の丸になります。この三の丸は二の丸、
    本丸を取り囲むようにして、腰曲輪とか帯曲輪とか呼ばれています。 


     天守の下まで移動して見上げてみました。最下層部の左側に石落としが見えています。 


     逆光気味になっていますが、丸亀城でも石垣の美しい所です。女性的な曲線を持った優美な勾配を、
    「扇の勾配」と呼んでいますが、その理由が判って戴けると思います。如何でしょうか? 


     「見返り坂」から三の丸を見上げています。これより右手に真っ直ぐに
    登ってくる坂道が在りますが、それを「見返り坂」と呼んでいます。 


     二枚前の石垣の写真、そしてこの上の写真も、殆ど動かずに撮っています。
    ここにはこの様な案内板が在ります。読みにくいので、


     丸亀城で一番美しいと言われる石垣です。一番上の部分は少し反り返っていて、
    登ることは不可能に見えますが、私が子供の頃は遊びで登って居りました。
    何人かは・・・・・。 


     写真を撮っている間、じっと待って居るジャッキーです。
     これを機会に、ホームページに丸亀城のページを作って
    いきたいと思います。出来上がりましたら、是非ご覧下さい。
    と言うことで出来上がりました。 



    ここからは、別な日の写真になります。
    この写真は、お城山の西側にある通称「兜岩」と呼ばれている岩です。私が子供の時の遊び場でこの岩の上でよく
    遊んで居りました。この岩は岩頸と呼ばれて火成岩が浸食を受けてこの様な形になった物です。
    またこの辺りは御殿が在ったところで、この岩の上に社が建てられて、天神山とも呼ばれていたそうです。 


    一気に三の丸の月見櫓跡まで上ってきました。我が愛犬ジャッキーの丁度頭の上に見える山が、古代韓国式築城法で
    築城された城山です。右手にお結びの様に見える山は「讃岐冨士」です。ジャッキーの犬種はシーズーです。 


    今度は中世の山城の写真です。先程と同じようにジャッキーの頭の上に見える山で△の形をした山が長尾城です。 


    今度も中世の山城「聖通寺山城」です。右手の大きな山は土器山で、名の通り土器を作っていた窯や、古墳が多く
    見られる山です。 「聖通寺山城」はその山の左に見える山がそうです。


    先程から同じところで向きを変えながら写真を撮っています。
    三の丸から二の丸の石垣を撮りました。人の上の石垣には櫓が建っていたところです。 


    ジャッキーをテーブルの上に臥させて、ちょっと離れ 瀬戸大橋と宇多津ゴールドタワーを撮ってみました。
    写真にすると判りにくいですが、右手の黒っぽく見えるタワーが宇多津ゴールドタワーです。
    瀬戸大橋はそのタワーの左右に見えています。


    二の丸に上り、本丸と天守を仰ぎ見ています。ジャッキーはシーズーですが、狆の飼育歴が長いので、
    狆フェースカットにしています。念のため・・・・。
    この二の丸には日本で一番深い井戸があります。 


    日本一深い井戸の説明板です。読み難いかも知れませんが、ご覧下さい。 


    その井戸の全景です。この井戸には城から抜け出す抜け道が在ったと云うことですが・・・・。 


    丸亀城は香川県でも有名な桜の名所です。1月7日ですが、桜の花が咲いていました。 


    二の丸の北側に回り込んで天守を撮りました。 


    上記の場所から少し移動して、もう一枚。石落としが見えます。 


    二の丸から本丸に入る坂でこの写真を撮りました。 


    天守西側の櫓跡から天守の写真を撮ってみました。石垣の端と写真中央の地面に礎石が並んでいますが、これは
    渡り櫓と云って各隅櫓と天守などを繋げていた櫓の礎石です。復元すると姫路城のように天守と隅櫓がわたり櫓で
    繋がっていて、本丸全体が一つの構造物になっていました。勿論二の丸も同様に櫓は渡り櫓で連結されていました。 


    天守を写した地点で回れ右をすると、中世の城が二つ見えます。中央より左側の山が、天霧城です。
    この城は中世の名城「千早城」にも負けないほどの、日本を代表する要害堅固な山城でした。
    写真中央の柵の上に見える低い山が居館が在った「本台城」で、天霧城は籠城用の「詰め城」です。 


    同じ場所から、宇多津ゴールドタワーと瀬戸大橋を展望しています。 


    天守と本島
    本島は塩飽水軍の本拠地で、明治維新の咸臨丸の水夫の殆どは、この本島の水軍の水夫でした。 


    丸亀平野を望む
    中央の山が大麻山(琴平山、金比羅山)で、金比羅さんの在る山です。
    金比羅山は向かって左側の端に位置します。 


    渡り櫓の礎石跡
    先程の天守の写真では判り難いと思いますが、これなら判って頂けると思います。
    この様に本丸、二の丸は櫓と渡り櫓が連結されて、堅固で壮麗な構造物でした。 


    待ちくたびれているジャッキー
    風も強い日だったので、次第に不機嫌になってしまいました。 


    丸亀城に登城する凛々しい武士・・・・?シーズー犬の我が愛犬ジャッキーです。
    中央に見えるのが大手一の門、左手に見えるのが大手二の門です。


    大手二の門の前で振り返る一人の武士の姿。
    屋根の上に天守が見えています。 


    大手二の門を潜り、枡形で一休みをしている武士・・・・・。 


    同じ枡形で大手一の門方向を見ている武士の姿・・・・・。 


    枡形の大手一、二の門に対して対角線上の方向の石垣です。
    この石垣の工法が切り込みハギの石垣です。隙間を出来るだけ
    出来ないように石を切って、面を合わせるように組み上げています。
    インカの石組みほどは精巧では在りませんが、見事に造られています。 


    大手一の門を通り過ぎて、舌を出している武士・・・・・・。 


    同じ場所で天守を望む。左手に見える坂が「見返り坂」です。 


    枡形と大手二の門を見下ろしている武士の姿。 


    同じく枡形と左手が一の門、右手が二の門。 


    御殿門に向かわずに引き返そうとしている武士。武士の右手の低い石垣は野面積み(のづらづみ)工法。  


    御殿門(形式:薬医門やくいもん)の手前で一休みする武士。 


    御殿門が気に入らない武士。殿様の所へは参内する気が無さそうです。 


    御殿門を過ぎると途端に元気になった武士。門の向かって左手には、
    番所、御駕篭部屋、長屋等が在ります。


    丸亀市立資料館の前で舌を出して佇む武士が一人・・・・。 


    上記の大手門とは反対側に在った「搦手門跡」。この城の築城時はこちらが大手門だったのですが、
    海岸線の後退と城下町の発展で、大手門が現在の位置に移動し、ここは搦手門に変更されました。 


    大手門の在る丸亀城の北側の堀端から城郭を写しています。橋の左側は昔「こどもの国」が在ったところです。
    現在は動物園も遊園地も無くなりましたが、丸亀市民の憩いの場となっております。 

     
    先ほどの橋を通り過ぎたところから写しました。天守の右下に見える一角は場内でも桜が多く、花見の時期は
    賑やかになるところです。画面の右端にこいのぼりが写っています。


    大手一の門から入った広場です。以前でも記載致しました良く似た構図ですが、
    御覧下さい。つつじの花が綺麗に咲いていました。 


    同じく大手一の門を入った広場で見られる野面積の石垣です。以前にも記載いたしましたが、
    丸亀城は野面積、打ち込みはぎ、切り込みはぎなどの石垣が見られるので興味深いです。
    わが愛犬ジャッキーが石垣で探索しているところです。


    先ほどの地点より一寸離れたところで一休憩のジャッキーです。後ろに野面積石垣が見えます。
    この日は土曜日なので多くの人がお城に来ていました。ジャッキーは大モテで上機嫌です。



    未だ続きが御座います。 丸亀城 2 へお越し下さい。

    この続編は「亀山築城の城」にてご案内致しております。
     


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